少 林 気 功 宣 言 Declaration of Shaolin Qigong

気功の入り口を間違えてはいけません。
病気が重い時に意念の難しい気功などとてもできません。
気功は「立つ」ことから、まったく単純なタントウ功から始めましょう。

気功は、ここにある少林門より入りましょう!!

私たちは、心から素晴らしい!!と胸を張って言える、意念を用いない
少林派の気功(少林内勁一指禅功、少林内勁十六尊羅漢気功、空勁気功)を強くお薦めいたします。

少林内勁一指禅(3)

少林内勁一指禅を世に広めたのは、第18代伝人の闕阿水(ケツ・アーシュイ)師である。闕阿水師は、1919年に、中国・蘇州に生まれた。家が貧しかったため、幼くして出家し、南少林寺で、僧侶として学んだ。少林内勁一指禅は、寺内で、一代に一人だけに口伝されていた時代に、その真摯な練功態度を認められ、浄智禅師(杜順彪)から少林内勁一指禅のすべてを伝授された。その後、働き手が必要とされ、還俗した闕阿水師は、上海で工員をしながら、少林内勁一指禅を練功し続けた。また、暇があれば、外気導引法、外気発射法により、熱心に難病患者の気功治療にあたっていた。生活も安定したある時、“これほど有益なものは、世の中の困っている患者の治癒のために生かそう。”と思い立ち、今までの厳格な単伝の戒律を破り、自分の弟子たちに公開伝授することにした。

その時、公開伝授された闕阿水師の弟子たちは、
姜廟桃、劉茂林、蔡秋白、黄仁忠
林厚省、王瑞亭、王忠良、徐鶴年
胡吉甫、楊春発、黄恵賓、張金華
李培海、李関英、王正、張金発、陳守勤
など、20数名に及んだ。

闕阿水師は、この公開伝授の時に、各弟子の素質を見極め、体力派・肉体派の弟子たちにはそれが生きるように、向き・不向きを考慮しながら、各功法を伝えていったと言われている。そのことが、後になり、若干の枝分かれした派内派の功法を生むことになった。そして、これらの弟子たちは、その後、中国本土を中心として、台湾、香港、シンガポール、アジア、アメリカ、ヨーロッパにわたるまで、広く、一指禅功普及のネットワークを拡張していき、現在にまで至っている。闕阿水師の世紀の英断により、一子相伝であった一指禅功は公開され、多くの弟子たちがそれを隠さず、門下生に伝授し続けたために、一指禅功は、日の目を見るようになった。そして、現在、この気功法は、数多くある気功法の中で、中国十大功法の一つとなっている。